いわゆる「四つん這いリレー」問題からの無責任論

Runner数日前、駅伝で走れなくなったランナーが、次走者にタスキを渡すまで四つん這いで進んだという報道があった。後200mのところで骨折したが、棄権すること無く這って進んだということであった。
これに対して、ネット上では様々な意見が提議されていたが、概ね「監督は棄権させるべき」「運営の失態」などの批判的なものであった。

選手生命を考えた場合、棄権というのも一つの選択肢であろう。しかし、これはあくまで観戦している側の一方的で無責任な単なる感想である。

本人にとっては、日々想像を絶する練習・鍛錬を重ね、培われた力を披露する場でのできごとである。決められた区間を走破することは、誰に強制されたわけでもなく、己の意志で、何としても達成しようと死に物狂いであったはずだ。当の本人だけでなく、指導した監督やコーチ、チームメイト、運営の方々も含め、誰がその行為を批判できようか。たとえ、選手生命が絶たれるような障害を負う可能性があったとしても、あくまで本人の強い意志がそうさせているのであり、そこには他人が入り込む余地などあろうはずもない。

少し話が逸れるが、某TV番組で、有名高校の野球部監督を長く務めた方が、「投球数を制限しようという流れがあるが、それはおせっかいであり、とんでもない話だ」という主旨の意見を述べられていた。今回の問題も、これと同じようなことであろう。

薄っぺらい根性論ではない。明確な本人の意志と覚悟の問題だ。常人では考えられない鉄人たちの意思と覚悟も、またスポーツの醍醐味であろう。もちろん観戦する側ではなく、本人たちが感じている醍醐味である。

 

今回の問題に限らず、無責任で底の浅い考えを、さも正義の代弁者のように振りかざし、自分に心酔している偽善者が増えているのはどういうわけであろうか?
「無知を恥じず、人の心の機微も理解せず、そして自分の意見は100%正しく、それを理解できないのは大馬鹿者である。」
こういった考え方が蔓延してきているのは、ひとえにマスコミの報道姿勢の影響であろう。まさに無責任の極みである。そして、我々一般人が「そんな報道が許されるのなら、好き勝手に意見を発信したっていいじゃないか」という考えに至るのは、至極自然なことである。

その結果、マスコミも含めた無責任な批判が、冒頭のランナー当人にとっては、擁護どころか大きな心の傷になってしまっていることに気づいていないのである。まさに無責任である。

よろしかったらフォローをお願いします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください