居酒屋のお通し
最近、巷では「居酒屋のお通し不要論」がまかり通っているそうな。しかも、俄無能評論家(場違いなジャンルで「いいことを言った」とマスコミに持ち上げられている2流タレントのことを私はそう呼ぶ)たちが挙って「無駄だ!無駄だ!」と吠えて拍手喝采を浴びている野田総理、モトイ!のだそうな(決して野田元総理を無駄だと言っているのではない。思ってはいるが。)
そもそも「お通し」とは、注文した料理が提供されるまでの時間を無駄にしないように、店側があらかじめ作り置きした料理のことであり、何も提供せず「席料」を徴収するのはさすがに忍びないという店側の配慮なのである(異論は認めるし、ぼったくり目的の例外はある)。
だいたい、数百円のお通し代に「飲食料金の10%に相当する」などとケチくさいことを言っている俄無能評論家は、自ら注文した料理でも「これはあまりにもまずくて、一口しか食べていないのだから料金は払わない」とぬかしているバカクレーマーと大差無い。そういえば、「床に落とした料理にまで料金を請求するのは理解できない」と言っていた反日政治家もいたなぁ。
かつての日本人は、それがたとえ口に合わなくとも、店側の配慮に対して感謝の気持ちと相応の対価を支払うことに躊躇することはなかったし、批判までするような無粋な行為は恥とさえ感じたものである。
居酒屋といえど、それは単なる飲食の場ではなく、大衆向けとはいえ立派な大人の社交場である。数百円ごときに目くじらを立てるような貧乏人(貧乏人はわたしの事なのだが)には是非ご退場願いたい。止めはしない。なんなら、「出て行け、この××野郎!」とエールを送ってやる!
と感じる今日このごろである。
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